グェン ・   ティ  ・フォン・タオ

NGUYEN   THI   PHUONG THAO

Profile & Message

2006年 ドンズー日本語学校で日本語勉強を開始

2007年 来日し、盛岡情報ビジネス専門学校日本語別科に入学

2009年 名古屋工業大学に入学 

2013年3月 名古屋工業大学を卒業後、新たなチャンスを得るため一時帰国

2013年10月   愛知県の奨学金をもらい、再び名古屋工業大学で修士課程に進学

2016年   中日本建設コンサルタント株式会社に入社 

~現在に至る

現在はベトナムテレビ局(VTC10)の非常勤レポーターとして、在日ベトナム人の活動を紹介する動画の取材・制作に携わっています。そして、日本のテレビチャンネル(Dive.tv)とも協力して、日本語でベトナムの文化などを紹介しています。 

毎日忙しく同じ生活を繰り返すことで、人生がつまらないと感じている人も多いと思いますが、時間があれば、ぜひ社会活動に参加してみてください。心を開いて新しい関係を築き、在日ベトナム人コミュニティーの発展に貢献することで、日本での生活は更に楽しくなると確信しています。

留学の決心

高校卒業後の2006年にダナン経済大学を受験し合格しましたが、日本へ留学したいという気持ちが強くなり、日本語を集中的に勉強するため大学には入学せずに、ベトナムの日本語学校に通うことを決心しました。

ベトナムで日本語の勉強を始めて1年後の2007年に来日し、岩手県盛岡市にある専門学校の日本語別科で、国立大学へ入学するために日本語の学習を続けました。

親に経済的負担をかけたくなかったので、日本語の勉強をしながら、時給700円のアルバイトを2~3掛け持ち、学費と生活費を自分で支払っていました。また、勉強とアルバイトの両立ができるように、全ての空き時間を勉強に費やして、国立大学入学のために努力を重ねました。

毎日、9~12時は学校で日本語を勉強して、少し休憩を取った後、14~19時にアルバイトをしていました。帰宅して食事をした後は、1時間以内に日本語の宿題を終わらせ、22時までは数学を勉強し、22時からは夜勤アルバイトに行きました。夜勤アルバイトが終わって家に着くのは深夜2時頃でしたが、宿題が残っている時には完成させるまで勉強しました。そして、学校へ行く前にも勉強をしたかったので、毎朝必ず7時に起きて、日本語の勉強していました。

日本語能力試験(JLPT)と、大学入試のための受験勉強をしていましたが、この2つ試験問題は性質が異なります。ですので、1週間の勉強時間を二つに分け、それぞれの試験の為の勉強を集中して行いました。週末の午後やアルバイトのない日には、大学入試のために数学・物理・化学の復習問題に取り組みました。

二つに分けた時間割をきちんと守り、一所懸命勉強したことで、来日1年半の目標を達成することができました。それは、ずっと入りたかった学科のある国立大学の入試に合格することと、日本語力試験1級の取得することです。

学生時代

 大学入学後は、日本語学習の時間がなくなってしまいました。留学生にとって、専門知識のみならず、日本語も大きな支障となります。日本の大学で良い成績を取るためには、日本人の学生の数倍努力する必要があります。

在籍していた大学には留学生を対象とする奨学金や学費免税制度がありました。努力を続けた結果、大学4年間の学費免除以外にも、二つの奨学金をもらうことができました。専門学校で日本語を勉強していた時に比べると、経済的な負担は軽減し、アルバイトは週に3~4回やれば生活費を賄えるようになり、勉強に費やす時間を確保することができるようになりました。

勉強時間を確保することはできるようになりましたが、社会活動に参加する充分な時間は未だありませんでした。在日ベトナム学生青年協会東海支部(VYSA TOKAI)に加入していましたが、大きなイベントの開催や運営に携わる充分な時間はありませんでしたので、たまに開催される規模の小さな活動のサポートだけを行なっていました。

また、在日ベトナム学生青年協会の活動のほか、大学や県の国際交流イベントにも時間がある時には参加していました。そのようなイベントへの参加回数は多くはありませんでしたが、色々な友達と出会えたり、自分の潜在的な能力を少しずつ発見できて、とても楽しい体験でした。

4年間の大学生活が楽しく無事に終わり、卒業後はベトナムに帰国しました。そのまま進学をしても、それまで支給されていた奨学金を引続きもらうことはできましたが、アルバイトをしながら学校に通う以前と同じ生活サイクルになってしまい、他の社会活動に参加する機会も失ってしまうと考え、国費奨学金か他の国への留学などより良いチャンスを得るために、思い切って一度ベトナムへ帰国する決断をしました。

名古屋へ戻る

ベトナムへ帰国して半年後、2013年10月に愛知県の奨学金プログラムを通じて日本に戻る機会を手に入れることができ、名古屋工業大学創成シミュレーション専攻都市シミュレーション分野に進学しました。そして、学校が終わった後はアルバイトでなく、在日ベトナム人コミュニティー支援活動に参加するようになり、以前の日本での生活では出来なった活動ができるようになりました。

2014年にベトナム学生青年協会東海支部の副代表として、在日ベトナム人コミュニティーの年間最大行事である、旧正月祭りの運営に参加しました。伝統的なベトナム旧正月の雰囲気を作るため、プログラムの企画や、迎春パフォーマンスの練習、宴会の用意、会場の手配など一生懸命準備しました。イベント運営の他に司会も担当したのでとても大変でしたが、旧正月を一緒に過ごしたベトナム人の笑顔を見て、ベトナム人コミュニティーに必要な情報や面白い活動を企画することに、もっともっと努力したいと思いました。また、イベントを成功させるために、勉強とアルバイトが忙しくても精一杯頑張った他のメンバーの笑顔も忘れることはできません。

旧正月祭りの他にも、いろいろな社会活動やイベントに運営や司会として参加しました。例えば、愛知県内の企業とベトナム人留学生との交流会、「Only Rice is not enough」というベトナムのボランティアグループの名古屋支部設立記念イベント、名古屋市にあるベトナムのお寺で開催された伝統行事など、様々なベトナム人コミュニティーの場で活動しました。

それらのイベントに参加したことで、イベントの開催方法や運営方法を学ぶことができましたが、何より、色々な人と知り合い、たくさんの面白い話を聞かせてもらえました。

2015年には、有名なテレビ局の島体験参加型イベントに参加者として選ばれ、ベトナムの観光地や海洋主権問題について多くの日本人へメッセージを伝えることができました。

また、番組の運営チームから取材やビデオ編集の方法を色々と教わったことをきっかけに、いつか自分でもベトナムの文化・習慣を紹介するビデオチャンネルを作りたいと思うようになりました。

番組の協力者となる

ベトナム人コミュニティーで活動したことで、本当に沢山の人と知合うことができました。ベトナムの放送局が主催するチャリティーイベントの取材サポートを数回した後、放送局から日本のニュースを取材する協力者に選ばれました。それ以来、放送局の番組を通じて、在日ベトナム人コミュニティーの様々な活動を紹介していますが、以前社会活動を通じて、取材・ビデオ編集の方法を教わったことが、番組協力者となった際のビデオ制作にとても役立ちました。私はこの仕事がとても気に入っています。

番組制作の協力者になって以来、ビデオ制作への関心が高くなり、自分自身の経験や必要な情報をベトナム人に共有するYouTubeチャンネルを開設したいと思うようになりました。現在は愛知県にある建設コンサルティング会社で毎日8~10時間働いていますが、毎週末にはベトナム人コミュニティーの活動に参加したり、夜遅くまで自分のチャンネルの原稿や台本を書いたりして、自分の夢を少しずつ叶えています。人も時間もまだ不十分ですが、なるべく早く自分のチャンネルがみんなに知られて、在日ベトナム人コミュニティーの役に立つようになって欲しいと思っています。

メッセージ

2007年に日本に来て、あっという間に9年が経過しました。来日後に専門学校で日本語を勉強していた1年半を振り返ってみると、日本語学習と大学入試の勉強を両立させたことにより、それからの日本での生活が順調におくることができたと思います。

日本に来ている留学生の中には、お金を稼ぐことに夢中になってしまう人もいるかと思いますが、最初に自分の目標を明確にして、時間を管理して効果的に費やすことは今後の良い生活をおくることに繋がります。

また、毎日忙しく同じ生活を繰り返すことで、人生がつまらないと感じている人も多いと思いますが、時間があれば、ぜひ社会活動に参加してみてください。それを通じて新しい友達ができるし、ソフトスキルを鍛える事もできて、今まで分からなかった潜在的な自分の能力を発見するかもしれません。

心を開いて新しい関係を築き、在日ベトナム人コミュニティーの発展に貢献することで、日本での生活は更に楽しくなると確信しています。

名古屋、2016年8月